アメジストは深海に沈む(前)

 

 

 

 

 

 

 
「ルルーシュ先輩、そろそろ賭けチェス連れてってくださいよー。」
「ダメだって言ってるだろ。何度言ったら分かるのやら…」
「先輩がいいって言ってくれるまで!」
「間違ってもそんな日は一生来ないな!」
 
 
えーとかやだーとか駄々をこねるジノを置いて、ルルーシュはリヴァルを引き連れ部屋を出た。
おなじみとなったサイドカーに乗り、集合場所に二人で向う。リヴァルは始終、ジノも連れてくれば良かったのにと言っていたがルルーシュはそんなの冗談じゃない。彼にはなんとなく身元がばれているような言動を取られることが多々あったし、一緒にいてボロを出したらそれこそ取り返しがつかなくなりそうだったからだ。確かに皇族だったころのルルーシュとジノはそれはもう仲が良かった。
年も近かったし、ジノはよくアリエスの離宮まで遊びにきてくれた。子供らしく外で鬼ごっこをして遊んだり、花を摘んでナナリーへプレゼントしたこともある。それも、母のマリアンヌが逝去してしまうまでの幸せな日々の中の話。
偽りの身分で暮らしているルルーシュ・ランぺルージには、ナイトオブスリーなんて大層な人物は釣り合わないのだ。下手に勘付かれても厄介だし、とルルーシュは目を伏せた。
昔とは違うのだ、自分も、ジノも―――。
 
 
 
 
***
 
 
 
 
「…流石にガード固いなぁ、殿下は。」
 
 
残されたジノは、そう独り言を漏らした。
いつも温厚な光を宿している瞳は、このときばかりは深い闇色に染まっている。
不敵に歪められた口元は、何故か楽しそうに見えた。
 
 
「ジノ、楽しそうだけどほどほどにね。」
「…アーニャ、いつからそこにいた?」
 
 
いつの間にか後ろに立っていた少女を、ジノは無意識に睨みつける。
アーニャはおどけたように肩をすくめながら小さく言った。
 
 
「今さっき。ジノは…やけにルルーシュに執着する。」
「あの方は私のすべてだからな。昔も、そして今も。」
「何かあるの?あの人と、貴方の間に。」
「…さぁて、何でしょう?」
 
 
とぼけたように言うが、その身からは殺気がにじみ出ている。
それに気づいたアーニャはやれやれとばかりに首を振ると、大人しく生徒会室を出て行った。
と立ち止まり、ジノに顔だけ向けて話しかける。
 
 
「ルルーシュのこと、ちょっと不安。」
「…何がだ?」
「今日の賭けチェスの相手。厄介な奴。」
 
 
話を聞けば、今日ルルーシュが相手をする貴族は表より裏の世界で名をはせている人間らしい。
何か自分に都合が悪くなれば金で解決し、もみ消した犯罪も少なくはない。しかもそのもみ消された多くは未成年の少年少女売買だそうだ。なるほど、ルルーシュならそいつのお眼鏡にかなってもおかしくないとアーニャは言いたいらしい。ジノはそれを聞いて、知ってるよと答えた。
知ってるならなんで行かせた、と視線で訴える少女に、青年はさもおかしそうにこう言った。
 
 
「チャンスだからさ。」
「…チャンス…?」
「そゆこと。だから私は、ここで待ってるだけでいい。」
「ジノの言うことは時々分からない。」
 
 
少し動揺の色を見せたアーニャをお茶でもどうかと誘い、椅子を引いて座らせる。
あの人の好きなダージリンを砂糖大目に入れてやりジノは満足そうにほくそ笑んだ。
 
 
「私には、運命の女神がついているんだ。」
 
 
 
 
***
 
 
 
 
「―――ルルーシュッ!!」
「っ…の、なにを、した。」
 
 
結果から言おう。ルルーシュは確かにチェスに勝利した。それはリヴァルが証明できる。
しかしルルーシュは今床に組み敷かれ、得体の知れない注射を施されている。
薬が段々効いてきたのか瞳は虚ろになっており、呂律も回らないようだった。
ぐったりとした少年を抱き抱え、ボディーガードを連れた貴族は下卑た笑みを浮かべた。
そこでやっと拘束を解かれたリヴァルは、要済みだと言わんばかりに建物から放り出されてしまう。
 
 
「おいっルルーシュをどうするつもりだよ!!」
「売るんだよ、その手の趣味の人間にな。この素材ならオークションの値はつりあがる!」
 
 
高そうなリムジンで去っていく一派を見送ることしかできないリヴァルは、悔しさの余り拳をアスファルトに叩きつけた。衝撃でポケットから携帯が転げ落ちる。
 
 
「―――あっ!」
 
 
いるではないか。彼を救えそうな人物があの学園に。
自分たちのような庶民でない、『力』を持った有力者が。
 
 
「今からならまだ間に合うっ!!」
 
 
そう言って、慌ててメモリからその名前を引っ張り出す。
最近登録してその名は簡単に出てきて、祈るように通話ボタンを押した。
かかれ、かかれ、お願いだから。
 
 
「―――はい?リヴァル先輩?どうしたんですか?」
「助けてくれっ!ルルーシュが―――ッ」
 
 
くつり、喉の奥からしぼりだされたような笑い声は、残念なことにリヴァルの耳には届かなかった。